「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」/Guardians of the Galaxy Vol. 2/監督 ジェームズ・ガン
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」
制作:2017/アメリカ/136分
監督・脚本:ジェームズ・ガン
出演: クリス・プラット、ゾーイ・サルダナ、デビッド・パウティス、ヴィン・ディーゼル、ブラッドリー・クーパー
あらすじ
アメコミ会社マーベル が送る、星の数ほどある実写化映画シリーズの一つ「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の第二弾。4人のはぐれ者がひょんなことから出会い、なぜかこの4人が銀河を救う事になってドタバタを繰り広げていくコメディ。今回はガーディアンズチームの主人公ピーター・クイルの父親を巡って、またドタバタ。
とにかく楽しい、見ているだけで幸せ。
待ってました、この続編を。前作がもう大大大傑作だったので、とても期待しておりました。もともとこの原作、マーベルの中でも地味な漫画だったようで。かつ日本版予告が超絶つまらなそうだったため、「なんじゃこりゃ、見ないわ」と思っていましたら、「超絶面白い」という評判がすぐに伝わり、その後は何度も見ています。食わず嫌いはいけませんね。
カラフルな宇宙の描写、70年代音楽のセンス良い気持ち良すぎる使い方、また音楽とアクションの興奮のピークとストーリー上の盛り上がりがうまくハマっており、何も考えずに誰でも楽しめてグッとくる120分。面白い映画に必要な要素のほぼ全て満たしているんじゃないかなと思ってしまいます。
よく「スター・ウォーズ」に並ぶスペース・オペラ作品と評されていますが、あの頃の「スター・ウォーズ」がリアルタイムではない 、80年代生まれのささみ世代には、「ガーディアンズ〜」が同時代で一緒に楽しめるスペースオペラかもしれません。(一昨年からのスター・ウォーズ新シリーズは、「まだおかず残ってたの!?」的なご褒美感覚です)
楽しいだけではない、4人がそれぞれ背負っているもの。
SF作品なのに、ポップな映像と音楽が散りばめられた楽しい作品ですが、一番の魅力は、主人公4人のそれぞれのキャラクターの面白さをうまく配したストーリー。
主人公のピーター・クイル(別名スター・ロード)は、幼い頃に地球からさらわれた過去があり、その後宇宙で窃盗をしながら生きています。彼の宝物は、地球で病床の淵のお母さんからもらった肩身のウォークマン。中にはお母さんが編集したヒットソングのテープが。このテープを聴いている時が、彼と微かな記憶中の家族が繋がる時。アライグマのロケットも詳しく説明されないが、悲しい過去を引きずっており、また女性の殺し屋ガモーラも複雑な生い立ち、もう一人のメンバードラックスは、妻子を殺されている。
こんな、それぞれ傷を追ったはぐれ者が宇宙で出会いチームとなり、強大な敵と戦う。しかも音楽と映像のセンスが抜群、という類稀な作品がガーディアンズ・オブ・ギャラクシーです。脚本・監督をどちらも担当したジェームズ・ガン、ありがとう。
こんな「家族」に入りたい。
今回の2は、前作で隠されていたピーター・クイルの父親が出てきます。一見、強そうで暖かさを持った父親に見え、彼はチームを置いて父親の元へ行きます。しかし、父親にはとんでもない裏がありました。実の親だけどトンデモない父親と、父親のように彼を育ててくれていた存在、そして大人になった彼が自力で作った「ガーディアンズ」というはぐれ者たちの「家族」。ピーターは今回の戦いの中で、なにを見つけるのか?ギャグの連発の中にも、要所要所で4人の小さくない傷を見せられてグッと気持ちをつかまされました。
この映画を見て・・・ささみのひとこと
どこのシーンのことかは、見たらわかります。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」/Manchester by the Sea/監督 ケネス・ロナーガン
制作:2016/アメリカ/137分
監督・脚本:ケネス・ローガン
あらすじ
アメリカ・ボストン郊外に住む孤独で無口でな男、リー。便利屋として生計を立てていた彼は、心臓発作で突然亡くなった兄の子供の後見人になる事に。16歳になる甥を育てようと彼と向き合おうとするものの、なかなか甥や周囲の街の人とも馴染めず、衝突も繰り返し、頑なに他人に心を閉ざしたまま。それは、リーが背負ったある悲劇的な出来事があったためであった。
2017年度アカデミー賞主演男優賞、脚本賞受賞。
孤独な男と、曇天と、寂れた港
地味で静謐です。決して豊かとは言えない港湾都市(割と曇天)に起きた悲劇と、それを背負って生きなければなれない人の、その人しか分かり得ない孤独に寄り添ったしっとりドラマ。静かに心動かされます。全体的なしみったれ感(良い意味で)が、陽なアメリカから生まれたとは思えない。(孤独なおじさん、さびれた港湾地区、曇天・・ささみの好きな要素です)
主人公リーは、ある出来事をきっかけに生まれた街マンチェスター・バイ・シーを離れていたが、亡くなった兄の甥の後見人になるため、故郷に戻ってくる。以前は仲間とワイワイ遊んでいた故郷、でもその場所は彼にとっては辛い場所。そこで、兄が遺した16歳の多感な甥っこを育てようとするも、飲み屋でケンカはするわ、甥っ子ともぶつかるわうまく行かない。リーに、一体何があったのか?
これ以上ぴったりな役者はいない。ケイシー・アフレックのハマりぷり
その悲劇は、中盤に観客にも説明される。うん、重い・・・。それを背負うのツライ・・・辛すぎる・・。やたらケンカばかりしたり、他人に暴言はいて自暴自棄になっているのも急にわかる気がする・・と事情を共有したのちは、彼は果たして、そんな悲劇の淵から再生できるのか??観客はじっと見守る事になります。
常に目が死んでいるリー。猫背、ボソボソ話すリー。いろんなものを背負いすぎて、別に生きたくて生きてないっす的なオーラが全身から出ています。この「消極的死に感」を出せるアメリカン役者、ケイシーアフレック以外にそうそういないような気がします。もともとマット・デイモンがやるはずだった役だそうですが、このしみったれたリアリティは彼にしか出せないものだったと思います。
見る人それぞれのちょっとした傷に寄り添う物語
物語の主題は、リーが絶望的な悲劇から救われて行くのか?ということに当てられています。リーは16歳の多感な甥とぶつかりながら向き合うことで、ほんのわずかの変化なのか、何か新しい感情も見えてきます。どんなにツライことで傷ついて心を閉ざしても、また自分から開いて他人と関わる事でしか、その傷は癒えないんだなと、ながーく淡々としたドラマの中で感じさせれらました。傷は完治しなくても、一旦放置はできる、そんな風に思いました。
この映画を見て・・・ささみのひとこと
どこのシーンのことかは、見たらわかります。
「ナイスガイズ!」/ The Nice Guys/監督 シェーン・ブラック
「ナイスガイズ!」
制作:アメリカ/上映時間 111分
出演:ラッセル・クロウ、ライアン・ゴズリング、アンガーリー・ライスホリー・マーチ、マット・ボーマー、マーガレット・クアリー
あらすじ
酒ばかり飲んでいる、シングルファーザーの探偵ホランド・マーチ(ライアン・ゴズリング)と、暴力的だけど優しい示談屋をしているオッサン(ラッセル・クロウ)がコンビを組み、失踪したとある少女を探すことに。少女の失踪の背後には自動車産業の闇が隠れており、二人は政府も絡んだ巨大な陰謀に徐々に巻き込まれていく。70年代ロサンゼルスが舞台にした愉快なノワールコメディ映画です。
ささみ史上、ベストゴスリング映画
とにかく笑えます。ライアン・ゴズリングの演技が最高に光っています。同時期公開「ラ・ラ・ランド」より、ささみ的には断然こちらをベストゴズリン映画としてオススメします。
ゴズリング演じる探偵マーチは、とにかくダメ男。酒浸りでマヌケ。
わけわからん凡ミスを連発し、頼りないのになぜか憎めない。この愛すべきキャラクターを作りあげたライアン・ゴズリングのコメディセンスと身体力がすばらしいと思います。イケメンなインテリ役も多いゴズリングですが、こういうマヌケ役をやったときのおとぼけゴズリンパワーの破壊力は、底知れないです。コメディを演じきれる役者は本物な気がします。
利巧な娘が、ダメな父を守る
ダメなゴズリングを支えるのが、彼の娘役のアンガリー・ライスちゃん。父親の凡ミスを冷静にナイスカバーして行きます。でもちょっとした時に、ティーンらしい弱さを見せるのですが、その強さと弱さのバランスが絶妙にかわいい。父親の前は強がる一方、母親が焼死した空き地で、一人で読書をする姿が切ない。「だめな父と利口な娘」のバディものとしても楽しめて、親子でもあるけど親友同士にも見える、この二人の関係性が見ていて心地いい。
ずっと見ていたい新たなシリーズものになること期待
とにかく本編と関係ないミスや下ネタでずっと笑っていられるけれど、二人が巻き込まれる自動車産業と政府も絡んだ暗部は、社会風刺にもなっています。自国の産業発展を優先するばかりにないがしろにされる環境問題、それに抗うヒッピー、そして何にも属さず負け犬なダメな私立探偵だけど優しさには溢れている男2人・・・。とにかく映画として面白い要素に溢れたコメディ映画。真剣に見なくても家でDVDをかけっぱなしにしていたい映画です。
この映画をみて・・・ささみのひとこと
どこのシーンのことかは、見たらわかります。
「レゴバットマン ザ・ムービー」/The LEGO Batman Movie/監督 クリス・マッケイ
制作:2017年/アメリカ/105分
声の出演: ウィル・アーネット/バットマン、ブルース・ウェイン
マイケル・セラ/ロビン、ディック・グレイソン
レイフ・ファインズ/アルフレッド
ロザリオ・ドーソン/バッドガール、バーバラ・ゴードン
ザック・ガリフィアナキス/ジョーカー
あらすじ
「レゴ」版のバットマン映画。
犯罪都市ゴッサムシティを悪者から守るヒーロー、バットマン。正義の味方である一方、素顔は寂しがりやなのに、不幸な生い立ちのせいで、他人に心を簡単に開けない気難しい一面も。そんな心寂しきバットマンの周りには、一風変わった少年ロビン、バットマンの悪敵ジョーカー、両親のいないバットマンを幼い頃から育てる執事のアルフレッドなど愉快な仲間たちがいる。ある時、悪敵ジョーカーがまた、ゴッサムシティを大変な目にしてしまい・・・。
おもちゃのレゴで繰り広げられる、れっきとした「バットマン」映画
レゴを題材にした映画としては、前作「LEGO(R)ムービー」がアメリカでも大ヒット。ポップなレゴ映画なのに、大人も意外に考えさせられる内容で、最後には泣けるわ、ギャグも冴えてるわで、かなり評価の高い映画でした。2作目のレゴ映画となる今回は、あの「バットマン」が題材。今回も、「レゴブロック」という身体性?を生かしたギャグや小ネタ満載で笑いつつも、最後には涙なしでは見られない、なめてはならない恐るべき映画になっていました。
「バットマン」といえば、クリストファ・ノーラン監督によりリメイクされた「ダークナイト」シリーズの大大ヒットが記憶に新しいですね。このノーラン流バットマン、2005年から3作品続きましたが、映画としては重め&暗めな印象で、特に2作目「ダークナイト」では、故ヒース・レジャーによる「ジョーカー」役の怪演と共に、「悪とは何か?」「正義とは何か?」という題材をずっしりと描いていました。それはそれでとっても面白くて傑作なのですが、これによりバットマンシリーズ=シリアス路線が定着化してしまいました。
「ジョーカー」のキャラが、良い意味で崩壊
ところがどっこい、今回の「レゴバットマン」は、とにかくポップで明るいです。ノーラン版のシリアスなジョーカー像とは真逆の、ほっとけなくて抱きしめたくなるジョーカーにそれが顕著に出ています。ジョーカーが、悪役のくせにとにかく可愛過ぎます。バットマンのライバルなのに、かなりのかまってちゃん。バットマンに相手にしてほしくてたまらん、という感じ。
そんなかまってちゃん的思いはバットマンに全然伝わっておらず、バットマンのある一言によって、ジョーカーは激しく傷ついてしまいます。自分にとって大切だと思っていた人は、さほど自分のことを重要には思っていなかったという事が、何気ない言葉でわかってしまう。この会話シーンのジョーカーは、ショックと強がりがないまぜのとっても繊細な顔演技をします。レゴブロックの涙目に、まさかこんなに感情移入していまうとは。思い出しても、泣きそうになるくらいの名演技。この顔は見るべし。
バットマンの孤独。レゴだからこそ、かき立てられる思い。
主役の「バットマン」も、心に大きな穴を抱えています。幼い頃に両親を殺された彼は、家族に近い存在である他者ですら遠ざけ、自分の世界のみで生きています。大企業の御曹司である彼は、がらーんとした大邸宅に1人で住み、ごはんはレンジでチンした食事、食事後はホームシアターでトム・クルーズの映画を鑑賞するだけの毎日。悪を倒すヒーローにしては、さびしすぎる毎日。他者に近づきたいけど、失うのが怖くて近づけない。バットマンの孤独は深い。
バットマンが静かにレンチンするシーンは、名シーンです。他のシーンは、異様にテンション高く、超アップテンポで進むのに、ここだけゆっくりじっくり見せます。レゴブロックという限定的な動作での至らなさが、また悲しさを倍増させるのです。
他者を受け入れるまでの葛藤と成長の物語。でも笑いの破壊力も抜群。
バットマンやジョーカーといった、寂しがりや人物たちが織りなす成長物語というヒューマンな一面もありますが、基本的には全面ギャグと笑いの連続による、コメディ映画。いろんな映画に出てくるキャラクターもぼんぼん出てくるし、DCコミックスのキャラも、マイナーなものまでたっくさん出ててきます。細か過ぎて正直よくわからないネタもありますが、バットマンの基本設定さえ知っていれば、誰でも楽しめて泣ける作品です。情報量もめちゃ多いため、超あっという間の100分くらいでございました。
この映画を見て・・・ささみのひとこと
どこのシーンのことかは、見たらわかります。
「ムーンライト」/Moonlight/監督 パリー・ジェンキンス
制作 アメリカ/配給 ファントム・フィルム/上映時間 111分
出演 トレバンテ・ローズ、アシュトン・サンダース、アレックス・ヒバート、マハーシャラ・アリ、ナオミ・ハリス、アンドレ・ホーランド
あらすじ
アメリカ・マイアミの貧困地帯に住む黒人男性が主人公。少年期・青年期・成人後の今の3部構成で、彼と彼を取り巻く人々について、大変静かに、ブルーを貴重とした美しい画面の中描かれています。
主人公シャロンを取り巻く環境は、いつも過酷。幼少時は、友達に「オカマ」といじめられ、父はいなく、母は麻薬中毒。近所に住む麻薬ディーラーの成年フアンが、本当の家族のようにシャロンを助けてくれるものの、青年期ブロックでは、この優しきフアンは、この世から去っている。さらに、シャロンは麻薬常習者の母親にお金をせびられる。高校生活に至っては、自身の同性愛についてからかわれ、シャロンはある一線を超えてしまう。家庭にも学校にも、彼が彼らしく居られる場所はどこにもない。そして大人になった彼は…。
貧困の黒人男性が主人公なだけの「りぼん」的純愛物語
と、このあらすじだけ引っこ抜くと、麻薬と暴力まみれのハードな映画に感じられます。この映画の予告編でも、そんな貧困と麻薬から離れられない黒人たちの厳しい現実が描かれるのかなと思っておりました。
それがどっこい、これは少女マンガのようなピュアな愛の物語です。黒人、麻薬、貧困という要素は、ただの要素に過ぎないのです。物語の中心は、超内気なシャロンという人物が抱く、ある人物に秘めたるある思い。観客である私たちは、ただそれを静かに、ひたすら見届けます。
秘めた思いが人を強くする
彼の秘めたる思いは、一瞬の熱い恋心だけれど、過酷な環境の中で生きる彼の心に、長く長く灯火のようにきらめいています。麻薬に溺れる母、陰湿ないじめをする同級生たちに囲まれたシャロンの生活は、端から見ても地獄のような状況にしか見えません。そんな彼の生活でひとつだけ確かなものは、そのきらめきが心にあるということ。その彼とどうこうなることが大切なのではなくて、一瞬でもいいから心から誰かを好きになり、そして受け入れられた。そんな思いが心にあるというだけで、結構人は強く生きられるのはでないかなという気がしました。(だからちょっと終わり方は、それでいいのかな?と思ってしまいました。)
彼と彼を取り巻く優しき登場人物に、照らされる月の光。美しい青い光に照らされる時だけ、彼は彼の人生を生きることができていた。自分だけがわかってればいい「ムーンライト」的なきらめきを手に入れただけで、シャロンは強いのだと思う。貧困とか麻薬とか黒人とかはあまり関係ない、1人の人間の内面の物語でございました。
この映画をみて・・・ささみのひとこと
どこのシーンのことかは、見たらわかります。
「LION ライオン 25年目のただいま/Lion/監督 ガース・デイビス
Lion
監督:ガース・デイビス/2016/オーストラリア/119分
インドで迷子になった少年が25年後にGoogle Earthを使って、両親を探し再会するという実話を元にした話。主演は、「スラムドッグ$ミリオネア」のインド人少年を演じたデブ・パデル(すっかり大きくなっている)。恋人役に「ドラゴン・タトゥーの女」でもおなじみのルーニー・マーラちゃん。
実話を元にしているので、最後に母親と再会するのはわかって見ているわけですが、それでもやはり再会シーンにはグッと来てしまうものが多大にあります。見た後に、自分が大切にしている人に連絡をとりたくなります。家族でも家族じゃない人でも。
予告編からの印象だと、「Googleを駆使して、主人公のおぼろげな記憶からインドの生まれ場所を探し、途中色んな壁もありつつ、・・・ついにみつかった!イエイ!」というハッピーエンドまでの過程をテンポよく見せてくれるのかな(たぶんスラムドッグの少年が主人公だから)と思っていたけれど、その過程は割とざっくりと端折って描かれていて、主題は幼少時代の迷子になり里子としてオーストラリアに渡るまでの過酷な生き残りの日々、そして青年期になってある程度の成功を手にした主人公が「自分とは何か」という彼が生まれながら背負ってしまった囚われの思いと、実母に会いたい気持ちと育ての母親に気を使う狭間で彼が苦悩する様子を丁寧に描いていました。
主人公のサルーはインドの貧しい家庭に生まれ、母親の仕事である「石運び」を手伝いながら、兄と妹と暮らしていました。しかし本当にふとしたすれ違いによって迷子になり、2千キロくらい列車に揺られ、まったく知らない街にたどり着きます。そこで、人にだまされたり、助けられたりを幾度か繰り返し、過酷な路上生活を経て孤児を集めた施設へ移されます。その後、施設で里子をあっせんする女性に出会い、オーストラリアの裕福で聡明な夫婦の元に引き取られ、彼は「オーストラリア人」として生きて行きます。
この迷子になるきっかけが本当に地味で、何も特別な事があったわけでもなく、ふと、迷子になってしまっていました。だからこそそれが非常に恐ろしく、本当にあった怖い話より怖いです。5歳の子供から見える、見知らぬ人ごみだらけの駅は恐怖以外の何者でもない。この子役がほーーーんとに目がまんまるでつぶらで、それはそれはかわいい為、この子がどんどん身なりも汚くなって路上生活に陥る様子は見ていて本当にツラい。だからこそオーストラリアに渡ったあとに、夫婦の前で笑顔を見せて行くところだけで、もう気持ちはこの子の保護者です。もう大丈夫だよ、と言いたくなる。
物語の後半は、サルーが大学生となった後の話で、google earthというツールとの出会いで彼の人生は大きな変化に向かいます。この青年期を演じるデブ・パテルさんが、とてもさわやかで嫌みのない、ステキな演技を見せてくれました。大学に入学し、生粋インド人である友人と知り合う中で、カレーをうまく食べれない自分に気づいたり、出身地を聞かれ「オーストラリア人だけど、、本当はインド生まれなんだ」と答える中で、「自分は何者なのか」「本当の母親はずっと自分を探しているのではないか」という思いに捉われていきます。実母を探すことは、育ての母親を否定することになるのではないかと、彼の中の思いはどんどん内向きに。自分の出自に悩むサルーを見て、私たちがどれだけ「1国籍1アイデンティティ」という考えに縛られているかが、反射して返ってきました。インド系の顔立ちだからインド出身、カレーがうまく食べられて当たり前、インド人の両親がいて当たり前、という無言の周囲の思い込みはどれほどツラいものなんだろう。国籍も出自も家族環境も性別も、色とりどりのまぜまぜの中に生きていることを思いながら、人と接して行くべきではないか。それぞれの事情があって当たり前。苦悩するサルーを見て、そんな思いに気づかされる。
最後にはもちろん実母と再会を果たし、幸せな瞬間が訪れるのですが、ツラい現実も突きつけられます。最後に私はここで嗚咽がでそうな程、泣いてしまいました。これはぜひ劇場で見届けてほしいです。
全体的には、とても多くの人に見てほしい爽やかな作品でした。誰でも心動かされるよい作品でございました。